【地下鉄成増エリア】駅・街の歴史編

都心のさまざまな「駅」に焦点を当て、その周辺エリアの住みやすさや便利な情報をお届けする「タウン情報」へようこそ!
毎回、都心のさまざまな「駅」に焦点を当て、その周辺エリアの住みやすさや街の便利な情報をお届けしている当「タウン情報」ですが、今回も「おかわり企画」の続きをお送りいたします。
すでにお分かりの方もいらっしゃると思いますが、この「おかわり」企画とは、今までに登場したエリアをさらに徹底解析し、アクセス環境や住まい環境、駅・街の歴史などの項目別に特集しちゃおう!というもの。
そして登場するのは、当タウン情報においてはもはや常連?ともいえる「東京メトロ有楽町・副都心線」より「地下鉄成増駅」の「駅・街の歴史」を中心にお送りします。
では、さっそく「地下鉄成増駅の歩み」からスタートです!
地下鉄成増駅5番出口
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「地下鉄成増駅」の歩み
すでに、当タウン情報では「書き尽くした」感のある東京メトロ「有楽町・副都心線」ですが、その区間の中でもこの「地下鉄成増駅」と隣同士の「地下鉄赤塚駅」はその成り立ちから名称まで「共通点」が多く、いわば「兄弟駅」といえる密接な関係性があります。(例として共に冠名が「営団」→「地下鉄」)
そして、もうひとつの共通点として「両駅を結ぶ区間はほとんど用地買収を必要としなかった」という部分もあり、後の開業(1983年)からさかのぼること10年以上前の1972年(昭和47年)には早くも「土木工事」に着手しています。
しかし、この区間以外の駅や区間では、用地買収を含む工事スケジュールに大幅な遅れが出てしまっており、土木工事が完了した1975年(昭和50年)以降、この区間は8年もの長きに渡って「浪人生活」を送る羽目になってしまったのだとか。
前述の通り、工事完了後はだいぶ待たされることになりましたが、1983年(昭和58年)6月にはようやく旧「営団地下鉄有楽町線」の「営団成増駅」として華々しいデビューを迎えます。
ただし、このデビューは、現「東京メトロ有楽町線」全体で見ると1974年(昭和49年)の「池袋‐銀座一丁目」間、1980年(昭和55年)の「銀座一丁目‐新富町」間に続く「第3次開業グループ(「営団成増‐池袋」間)」に相当しており、将来の延伸が確実であったため暫定的ではありましたが、同路線の「終着駅」という扱いでした。
歩いてすぐの東武東上線「成増駅」
その4ヶ月後となる同年10月には、この路線との接続が確実だった「西武有楽町線」の「小竹向原‐新桜台」間が乗り入れを開始しますが、この時点では他の西武鉄道線との接続が存在しない状況であったため「西武線を名乗っていながら営団の車両のみが運行している」という摩訶不思議な状態に。
これは「西武池袋線」との接続口となるはずだった「同線練馬駅」との区間の工事が遅れていたためであり、この状況は1994年(平成6年)まで続くこととなってしまいます。
ここで話を旧「営団有楽町線」に戻すと、1987年(昭和62年)には「第4次開業グループ」となる「営団成増‐和光市」間が開業しますが、この時点で同線には「東武東上線」の接点ができており、両線は相互乗り入れを開始。
翌年の1988年(昭和63年)には「第5次開業グループ」となる「新富町‐新木場」間が開業して、ようやくこの路線は「全線開業」を果たします。
(第1次から考えると、全線開業までに14年もの歳月が費やされている)
こうして念願の「全線開業」を迎えましたが、それから16年後となる2004年(平成16年)には「営団」から「東京メトロ」への事業承継に伴い、現在の「地下鉄成増駅」に駅名が代わっています。
というわけで、駆け足ですが「地下鉄成増駅」と「東京メトロ有楽町線」の歩みをざっとご紹介した所で、次のセクションへ!
地下鉄成増駅2番出口
ひょっとしたら「板橋区」じゃなかったかも? ~駅周辺の街の歴史~
今回のエリアは、基本的に「板橋区成増(駅は二丁目にある)」をベースとしてご紹介していますが、駅周辺のMAPに詳しい方ならすでにごぞんじの通り、駅南側はほぼ全域が「練馬区」、西側は「埼玉県和光市」となっているため、厳密にいうなら「これら3つの地域が複合するエリア」となります。
東京23区の歴史・成り立ちに詳しい方であれば、現在の「練馬区」は元々「板橋区に属していた」ことをごぞんじかと思いますが、「成増」の時代をさかのぼると旧「浦和県(現在の埼玉県)赤塚村」の「大字成増」であり、それ以前の明治時代には「赤塚六ヶ村」と呼ばれる地域に属していました。(この「赤塚六ヶ村」については後述します)
つまり、このエリアのルーツに迫っていくと、現在のこの地域が「ひょっとしたら板橋区以外の地域に含まれていた」可能性が高かったことにつながっていくのです。(現在でも行政区域としては「赤塚エリア」に含まれることが多い)
歴史を語る上で「たられば」の話は避けて通るべきではありますが、ここまで来るとついつい「練馬区の独立の際に成増が含まれていたら?」や「旧・浦和県から当時の東京府へ編入する地域から漏れていたら?」という「if ストーリー」を想像してしまいたくなりますよね?
「ルーツ」となる「赤塚六ヶ村」とは? ~駅周辺の街の歴史②~
さて、続くこのセクションでは先程のお約束どおり「赤塚六ヶ村」について解説していきましょう。
この「赤塚六ヶ村」ですが、該当する地域がこう呼ばれるようになったのはなんと「室町時代」からであり、この「赤塚」は現在の地名・町名にもその名を残す「上赤塚・下赤塚・成増・徳丸本・徳丸脇・四ッ葉」という地域(村)の集合体であったことから「六ヶ村」と呼ばれるようになったそうです。
ただ、最近の研究では、もともと「赤塚郷」という広大な地域が「赤塚村」と「徳丸村」という2村へ分裂し、さらに「赤塚村」は「上赤塚・下赤塚・石成」の3村へ分裂、対する「徳丸村」は「徳丸本・徳丸脇・徳丸四葉」の3村へ分裂したことから「六ヶ村」となった、ということがわかっています。
マルエツ成増南口店
この各エリアの内「旧・赤塚村グループ」の3村の中に「成」の字を見つけた方もいらっしゃることかと思いますが、この「石成(村)」こそ「現在の成増エリアの先祖」と言っても過言ではない存在「らしい」のです。
ここで、なぜ「らしい」などお茶を濁すような物言いをしたかというと、この「赤塚六ヶ村」は、その後もずっと分裂したままだったわけではなく、江戸時代初期には再び「赤塚村・徳丸村」の2村に戻ってしまったり、なぜか「上赤塚村成増分」と文献に記述されているなど一貫性がないのです。
ですので、当時の「石成村」が本当に「成増村」になったのか?は、信頼できる資料・文献が乏しいこともあり断定できるわけではありません。
過去も現在も「地域区分」に振り回されるのが、我らが「成増」の役回りのようですね。
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今後の「地下鉄成増」が歩む道とは?
最後のセクションは「地下鉄成増」の今後を、この記事をまとめつつ一緒に考えてみましょう。
前述したようにこのエリアは「板橋区・練馬区・埼玉県」の境目近くに位置しており、良くも悪くも「これら地域の影響を受けやすいエリア」となっています。
ただ、これらの「変化」が、この「地下鉄成増エリア」における住まい選びや不動産購入に関して今後どんな影響を与えるのか?
この流れは、私たち「不動産のプロフェッショナル」においても正確には読みにくい部分であり、当タウン情報の読者の方々の中でも「いろいろな仮説や真偽不明の情報」が影響して混乱を招いてしまっているかもしれません。
ですので、現段階では「まだまだ状況が変化し続ける可能性がある」という部分も考慮した上で、物件や購入を検討するのが賢いやり方、かもしれません。
国道254号線(川越街道)
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地下鉄成増駅周辺地図
地下鉄成増駅周辺の学区域情報
http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_kurashi/000/000388.html
(板橋区役所ホームページより)
地下鉄成増で利用できる路線
東京メトロ有楽町線「地下鉄成増駅」
東京メトロ副都心線「地下鉄成増駅」
東武東上線 「成増駅」
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