「高田馬場」エリアからも近く、明治通りに面していている「西早稲田駅」の魅力とは!?
毎回毎回、さまざまな駅周辺エリアの新鮮なタウン情報をお届けしているこちらのタウン情報、今回はまだまだ「新駅」の部類に入る駅ですが、東京メトロ・副都心線の「西早稲田駅」をお送りします!
いろいろな街の情報において、時たま使われる一ジャンル「学生街」。
こちらの「西早稲田駅」周辺エリアも、その位置づけ的にはもちろん「学生街」なのですが、イメージ通りの学生街の雰囲気とはちょっと違う所が特徴です。
そんな特徴だけでなく、歴史や裏話など、さまざまな角度から住まい探しの役に立つ「新鮮なエリア情報」をご紹介していきますので、お楽しみに!
駅を出た明治通り沿いには学習院女子大学・女子高等科・女子中等科の門もあり、学生が多く行き交います。
「西早稲田駅」の駅・街の歴史
この「西早稲田駅」ですが、そのスタートは2008年(平成20年)のこと。
これまでも何度かご紹介してきた「副都心線の開業」と同時にデビューした駅ですが、それ以前に「有楽町線」として存在していた駅たちとは違い、全くの「できたてホヤホヤ」な区間です。(有楽町線は「池袋駅」以降は新木場方面へ向かうため)
ですが、このエリア自体はわずか400mほどの所に「高田馬場駅」があり、1967年(昭和42年)に「早稲田大学西早稲田キャンパス(当時は大久保キャンパス)」がすでに存在していたため、「西早稲田駅」開業以前から「学生街」として賑わっていました。
西早稲田駅出口
ここで疑問に思った方もいらっしゃるかもしれません。
「冒頭で『イメージ通りの学生街の雰囲気とちょっと違う』と言っておきながら、話が違うじゃないか!」
その疑問はごもっとも、ですが、これには少々理由があります。
その理由とは「実質的に『西早稲田駅』周辺は地名としての『西早稲田』中心地域から外れている」ためです。
実際には「西早稲田駅」は、その大部分が「新宿区戸山」に存在(かろうじて駅の一部が「西早稲田二丁目」に接しているのみ)しており、どちらかといえば「戸山」や「大久保」の中心地域と近いので、こんな現象が起きていると思われます。
(前述の「早稲田大学西早稲田キャンパス」という名前も混乱の一因かも知れません)
ついでと言ってはなんですが、「同じ東京メトロの『東西線』と交差している箇所になぜ駅を作らなかったのか?」という疑問の種明かしも合わせてしておきましょうか。
地図上で見てみると一目瞭然ですが、東西線と副都心線が交差するポイントは「高田馬場駅」から目と鼻の先の距離にあり、この場所に新駅を作るメリットが薄い点がひとつ目の理由。
ふたつ目は「すでにある地下構成物を移設するコストが発生する」という点。
これは、交差ポイントが「神田川」に近いため、通常よりも多くの地下構成物・埋没物が存在していることも大きく影響しています。
これらの理由を知ると、現在の「西早稲田駅」にまつわる、さまざまな疑問もたちどころに消えてしまいますね。
さて、次は街の歴史を見ていきましょう。
駅がそもそも名乗っている「西早稲田」、ここは歴史上のある事件の舞台となった場所なのですが、ごぞんじの方はいらっしゃるでしょうか?
その事件とは、このタウン情報の「目白駅」の回でもご紹介した「高田馬場の決闘」のこと。(学習院大学敷地内の「血洗いの池」のエピソードを参照)
事件のあった1694年(元禄7年)当時は、現在の「新宿区西早稲田」が「高田馬場」と呼ばれており、記念碑も現在の「西早稲田三丁目」に残っています。
引き続き、駅が存在する「戸山」に関する話題を。
この「戸山」という地域は、古く明治時代からは「陸軍の練兵場」として知られていた土地でした。
「学ぶ立場の人が多く居る」ということに関して言えば、現在の姿もうなずけますね。
さらにさかのぼり江戸時代、1671年(寛文11年)に尾張徳川家に嫁いだ「千代姫」が、下屋敷を建て住んだことから「戸山荘」と呼ばれたのが地名のルーツで、当時は有効明媚で有名だった「小石川後楽園」と並び称される、徳川家ゆかりの「名庭園」でした。
駆け足になってしまいましたが、なかなか奥深そうなエリアですよね。
もし次の機会があるならば、さらに奥深く探って行く必要があるでしょう!
西早稲田駅エレベーター出入口
西早稲田駅周辺の商業施設
この「西早稲田駅」はちょうど「明治通り(都道305号線)」の真下に存在しているのですが、駅周辺はかろうじてコンビニがあるものの、「諏訪町」の交差点(都道25号線)を越えてからでないとお店らしいお店がありません。
(出口2であれば、ちょうど25号線を越えたところにある)
かろうじて、前述の出口2のすぐお隣には、大型スーパー「Olympic早稲田店」がありますので、日常の買い物に関して問題はありません。
Olympic早稲田店
西早稲田駅出口2
西早稲田駅周辺の観光スポット・公園施設
今回の観光スポットは、普段はなんの気なしに通りすぎてしまうかもしれない、ちょっとしたスポットをご紹介しましょう。
そのスポットとは、駅出口からも近い「明治天皇射的砲術展覧所阯」です。
「射的」と聞くと「ああ、お祭りとかによくあるアレね!」と思う方も多いでしょうが、もっとシリアスな「射撃」という意味合いなんです。
このスポットがある「新宿諏訪神社」には、かつて「近衛射的場」(天皇の身辺を守る兵士「近衛兵」が射撃・砲術の訓練をする場所)が存在し、1882年(明治15年)に、明治天皇自ら訓練の様子を視察するために行幸(天皇陛下がいらっしゃることをこう呼ぶ)なされたことがありました。
現在では石碑と、東京都史跡認定の立て札(昭和18年当時のもの)のみが残っていますが、駅からすぐ近くにあり、手軽に見に行ける一風変わった観光スポットとなっています。
この他にも駅周辺には多くの神社・仏閣があるため、のんびりと歩き回って、かつての風景に思いを寄せるのも一興かもしれません。
新宿諏訪神社
都立戸山公園①
都立戸山公園②
都立戸山公園③
都立戸山公園④
西早稲田駅周辺の商店街情報
これまでも何度かご説明してきた通り、「駅前」としての機能面では、近くの「高田馬場駅」に大きく水をあけられている「西早稲田駅」周辺エリア。
残念ながら商店街においても、一番近いのは駅周辺(戸山)ではなく、町名が「西早稲田」のエリアとなってしまいます。(東西線以北)
そんな状況を踏まえ、今回ご紹介するのは「西早稲田商店会」さん!
西早稲田商店会
この商店街は、東西線が通る「早稲田通り(厳密に言えば、こちらも「都道25号線」となる)」を中心に、なんと100軒以上のよりどりみどりなお店が連なる、非常に規模の大きい商店街で、物販店・飲食店・サービス業がそれぞれ1/3ずつある、バランスの取れた構成となっています。
この商店街のシンボルとなっているのが、早稲田通りにある「子育地蔵」。
(正確には「西早稲田源兵衛子育地蔵尊」)
なんと安置されたのは1726年というのだから、驚きですよね。
さまざまなご利益がある中でも、子供に関する祈願が成就することから「子育」の名がついたそうで、早稲田大学から近いとあってか、「合格祈願」に訪れる方も多いのだとか。
商店街の中でも、近年はおしゃれな外見のカフェが増えており、古くから「学生街」とあってか、ボリューム満点のメニューを揃える飲食店が多いのも特徴です。
学生を中心に非常ににぎやかな雰囲気を持つ商店街ですので、地元民ならずとも足を運んでみてはいかがでしょうか?
早稲田通りにある「子育地蔵」
「子育地蔵」②
「子育地蔵」③
周西早稲田駅周辺の住宅情報・街の情報・住みやすさ
非常にメジャーな名前である「高田馬場」エリアからも近く、明治通りに面していることから人が多くいる印象を受ける「西早稲田駅」周辺エリア。
では、実際に住むことを考えた場合、どんな街なのでしょうか?
このエリア最大の特徴は「新宿・渋谷・池袋へのアクセス性が優れており、一人暮らしが非常に多い」という点です。
実際、どの駅にもほぼ10分以内で到達できる環境は、都心でも有数の便利さを誇り、場所によっては「高田馬場駅」も利用できるため、副都心線のみの単線駅でありながら利用者数は毎年ぐんぐん増えていっています。
もちろん学生の一人暮らしは多いのですが、駅から少し離れると閑静な住宅街としての顔も併せ持っており、ファミリー層向けの物件も多く存在します。
となると少し不安なのが「お値段・お家賃」と言ったところでしょうが、お隣の「雑司が谷駅」と比べると確かに高くはなっています、が周辺の環境などを考慮するとあながち「高い」と決めつけるのは早計かもしれませんね。
明治通り
学生を中心に、古くから人が多く住んでいる「西早稲田駅」周辺エリア。
機会があればぜひとも住んでみてはいかがでしょうか?
【周辺「住みやすさ」情報】
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西早稲田駅周辺地図
西早稲田駅周辺の学区域情報
https://www.city.shinjuku.lg.jp/kodomo/file04_04_00015.html
(新宿区役所ホームページ)
西早稲田で利用できる路線
東京メトロ副都心線「西早稲田駅」
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