無国籍な雰囲気「新大久保」の住まい事情とは!?
皆さんは、場所に関する「先入観」って感じたことはありますか?
唐突に何を言い出すんだ?と思われた方も少なくないでしょう。
ですが、今回ご紹介する駅を見れば「ああ、なるほど」と察してくださる方も同様に少なくはない、ハズです。
今回はJR山手線「新大久保駅」を様々な角度から徹底分析、イメージ先行の目線を変えるお手伝い、となれば私も幸いです(笑)
それでは、いつも通り、歴史のお話から進めていきますよ?
新大久保駅周辺の街並み
「新大久保駅」の駅・街の歴史
これまで何かと話題になることも多かった「新大久保駅」ですが、その開業は1914年(大正3年)というから、まずこの時点で最初の驚きですね。
もちろん山手線はすでにありましたが、当然のことながらJRはおろか、旧国鉄よりも前、一世紀以上も前のことなので「鉄道院」という当時の内閣の直属機関に属していました。(山手線という名称は1909年(明治42年)についた)
ずいぶんとイカツイご出身、というわけですが、その後の日本の鉄道の歴史においてはかなり重要なポジションだった、とも言えます。
その後、1920年(大正9年)には「鉄道院」から「鉄道省」へ所属が変わりますが、内閣の直属機関から大臣を頭とする一省庁へと変わったわけですから、さぞかしその変化は大きかったのでしょうね。
その後の発展が期待された「新大久保駅」、すでにお察しの方も多いでしょうが、駅名に「新」が入っているため、歴史的には「大久保駅」よりも後にできた駅です。
JR中央線の「大久保駅」は「新大久保駅」に先んずること20年ほど、1895年(明治28年)の開業ですから、まさに大当たりですね!
新大久保駅
そんな両駅は同じ「新宿区百人町一丁目」にありながら、これまで相互での協力体制や、乗り入れ等の計画すらない「没交渉」状態。
この辺もかなり不思議に感じますよね?
この疑問に関しては、あくまで推論ではありますが、前述の「山手線と中央線のルーツの違い」が関係しているのではないかと。
山手線のルーツは元々「日本鉄道」という国内初の「私鉄」に属していましたが、その後国有化され、内閣直属の「鉄道院」、いわば国の鉄道のエリートコースを歩んできました。
それに対し中央線のルーツは「甲武鉄道」というれっきとした「私鉄」であり、これが国有化されるのは1906年(明治39年)なので、「新大久保駅」開業当時はまだまだ同僚的な関係がなかったのではないか?
もちろんあくまで、推論ですが。
紙面が尽きてしまうので、ここからは先ほどもちらっと登場した「新宿区百人町」の歴史に触れてみます。
この特徴的な地名、由来は江戸時代の「鉄砲組百人同心」から来たもの。
(正しくは「砲」の文字は火ヘンに包=炮)
この「鉄砲組百人同心」とは幕府直轄の鉄砲隊のことで「同心」という部分から警備や警護などの警察官的な人たちのこと。
幕府ではこのようなまとめ方が多く見られ、例を挙げると「八王子千人同心」のように警護の人員をキリの良い数で任命していたんですね。
国と幕府の違いこそされ「直轄」というのが「新大久保駅」を語る上で重要なキーワードになってくるような予感がするのは、私だけではないでしょう。
と、なんとかまとめた所で(笑)、商業施設のご案内に行ってみましょう!
新宿区百人町周辺
新大久保駅周辺の商業施設
これまでも触れそうで触れては来ませんでしたが、やはり「新大久保駅」周辺エリアといえば日本屈指の「コリアン・タウン」ですよね?
中にはこの無国籍な感じがたまらなく合う方もいらっしゃるでしょう。
コリアン・タウン①
しかし、この先入観だけでなく、実際に駅前を歩いてみると、実に多くのお店が混在しており、小・中規模の商業施設が多いので買い物関係で困ることはありません。
そして商業エリアとして欠かせないのが「食」の分野。
飲み屋さんなどを含めれば、実にいろいろな種類の食べ物が味わえるエリアでもあります。
そして「百人町」の特徴でもある「細く長い路地が所狭しとならんでいる」のは、このエリアの構造が江戸時代から大きく変わっていないためです。
前述の「鉄砲組百人同心」が住んでいた百人町が、めぐりめぐって無国籍な雰囲気漂うエリアになるとは…同心たちもきっとびっくりでしょうね。
コリアン・タウン②
コリアン・タウン③
新大久保駅周辺の観光スポット
さて、「新大久保駅」周辺の観光スポットですが、やはり今回の趣旨的にはこちらをご紹介すべきでしょうか?と考えました。
駅から「高田馬場」方面に向かっていくと、ついうっかり通り過ぎてしまうような場所ですが、小説家の「下村湖人旧居跡」をご紹介しましょう。
下村湖人と聞いて「ああ、あの人ね!」という方は少ないかもしれませんが、誰しも幼少のころに「次郎物語」を読んだことがあるかと思います。
(私も小学校のころ読んだ覚えがありますね)
この湖人自身の自伝的小説ともいえる作品だけでなく、元々教員だったことから社会教育家としての顔も持っており、教育に関する著書もいくつか手掛けている湖人が、終の住まいとしたのがこの百人町でした。
現在は個人住居となっているため、その痕跡は案内書きがされているのみですが、新宿区ゆかりの文人としての足跡が記されているこの場所は、新宿区の指定史跡として今日でも保存・保全されています。
あくまでじっくりと時間を過ごすスポットではありませんが、この地のかつての面影を残す史跡を訪れてみるのも面白いかもしれませんね。
下村湖人旧居跡①
下村湖人旧居跡②
新大久保駅周辺の商店街情報
「新大久保駅」周辺の商店街、と言うからには…。
またまた、既存のイメージはこの際、いったん置いておきましょう。
このエリアの持つ古き良き時代と、新しい時代それぞれの良い部分を組み合わせ、今現在の「新大久保」を作り出そうと頑張っているのが「新大久保商店街」の方々です。
(詳しくは「新大久保リンク」:http://www.shin-ookubo.or.jp/)
新大久保商店街①
「新大久保駅」前から、大久保通りを進み、明治通りに至るまでの600mほどを見つめてきたこの商店街、前身となる「商友会」はなんと大正時代の発足というのですから、その歴史と伝統はそんじょそこらには負けません。
やはり特筆すべきは、商店街グルメ!
おいしい韓国料理を食べたいと思ったら、即この商店街に足を運ぶべきでしょう。
飲食店のみならず、生活雑貨や古着のお店など様々なお店が所狭しと並ぶ姿は壮観ですよ?
新大久保商店街②
新大久保駅周辺の住宅情報・街の情報
今回は皆さんが知っている「新大久保駅」周辺エリアとは一風異なるエリアの魅力をご紹介してきましたが、実際に住むとなるとどんな様子なのでしょうか?
皆さんが気になる「新大久保駅」エリアのお住まい事情、行ってみましょう!
このエリアの最大の特徴が「国内にいながら異国暮らしの雰囲気が味わえる」という点です。
これまでにご紹介してきたエリアとは一線を画す場所であるので、通常とは真逆の「この場所でなければいけない理由」が必要かもしれません。
皆さんが心配する部分である「治安」に関してですが、駅のある百人町一丁目を外れた場所であれば、意外にも安心して暮らすことが可能です。
その証拠に駅周辺から少し離れてみると、一人暮らし向け・ファミリー向けの物件数が多くなっていきます。(実際、百人町二・三丁目や大久保、戸山など集合住宅・マンションなどが豊富です)
住友不動産新宿ガーデンタワー
買い物環境・アクセス環境は充実していますので、この独特の雰囲気が問題ない方ならイメージを先行させずに不動産屋さんに尋ねてみると良いでしょう。
思いもよらなかった、住み心地の良い物件が見つかるかもしれませんよ?
新大久保駅高架下の壁画①
新大久保駅高架下の壁画②
戦後の復興から紆余曲折を経て、国内でも稀有である「ワンアンドオンリー」なエリアとなった「新大久保駅」周辺エリア。
激動の時代を迎え、今後劇的な変化が訪れるかもしれないこのエリア、
機会があればぜひとも住んでみてはいかがでしょうか?
【周辺「住みやすさ」情報】
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新大久保駅周辺地図
新大久保駅周辺の学区域情報
https://www.city.shinjuku.lg.jp/kodomo/file04_04_00015.html
(新宿区役所ホームページ)
新大久保で利用できる路線
JR山手線 「新大久保駅」
JR中央・総武線 「大久保駅」(新大久保駅から徒歩5分くらい)
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